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冬鳥越に蒲原鉄道の保存車両を訪ねて 2.

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2018.01.26 線路端 新潟 蒲原鉄道 モハ61 モハ1 ED1



△ 蒲原鉄道保存車両、モハ61(左)、モハ1(右)。冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

冬鳥越に蒲原鉄道の保存車両を訪ねて 2.

冬鳥越スキーガーデンに保存された蒲原鉄道の車両、モハ61、モハ1、ED1を順に紹介します。



△ モハ61、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

モハ61は全長17mの半鋼製車両で、元は西武鉄道のクハ1232(クハ1231形)です。譲渡にあたり、西武所沢工場で電動車化・両運転台化改造され、蒲原鉄道へは1958年(昭和33年)に導入されました。この時の西武鉄道の塗色(イエロー・マルーン)は、その後、蒲原鉄道の在籍車両にも採用されました。

モハ61は路線縮小後も残存し、全線廃止まで活躍しました。


△ モハ61の室内、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

△ 半室運転台の反対側に設置された手ブレーキ、モハ61、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

△ ドア横の非常ブレーキ、モハ61、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

半鋼製電動客車「モハ61号」
この電車は昭和15年に日本鉄道自動車(株)が武蔵野鉄道の半鋼製制御車として製造したもので、昭和初期の私鉄向きの標準型電車です。 昭和33年1月に蒲原鉄道に譲渡する前に電動車に改造されました。
昭和33年から昭和60年に村松~加茂間が廃止されるまでと、その後平成11年に五泉~村松間が廃止されるまで運行され、「モハ1号」とともに地域発展につくしました。
この種類の電車は、昭和11年頃から16年頃にかけて多数製造されましたが、比較的新しい時代に製造のためか、製造以来60年を経過した現在、保存車両は全国的に見てもかなり数が少なくなっています。
形式:モハ61
全長:17.000m; 全幅:2.725m; 高さ:4.110m
定員:110人; 自重:27.45t
加茂市:市指定文化財 (現地案内板の説明)




△ モハ1、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

モハ1は車体長11.455mの木造Wルーフの車両で、五泉~村松間の開業の際に蒲田車両製作所で新製されたデ1、デ2のうちの1両です (デ2→モハ1)。

1950年代前半に木造車体の老朽化により、主要機器をモハ13(のちのモハ51)に譲り、事実上廃車されました。 その後、村松車庫内で蒲原鉄道の全線廃止まで詰所として利用されました。廃止後は、車内・外装とも徹底した修繕・復元工事が施工され、冬鳥越スキーガーデンで静態保存されています。


△ モハ1の室内のようす、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

県内最古の木造電車「モハ1号」
蒲原鉄道は大正12年10月20日に五泉~村松間4.2kmの運行を開始し、昭和5年7月22日には村松~東加茂間15.2kmを開通、昭和5年10月20日には東加茂~加茂間2.5kmを開通し、全線で21.9kmになります。 その後、昭和60年3月31日をもって、加茂~村松間17.7kmを廃し、平成11年10月3日には五泉~村松間4.2kmを廃止し、77年間続いた鉄道の使命を終えました。
日本の鉄道車両は、大正末期から昭和初期にかけて、ようやく木造から半鋼製に代わってきました。ここに展示するモハ1号は大正12年蒲田車両製造のもので、誕生してからわずか4年後に半鋼製時代を迎えます。
当初は五泉~村松間、その後昭和5ねんから昭和29年まで五泉~加茂間で運行され地域発展に尽くしました。
形式:モハ1
全長:11.455m; 全幅:2.692m; 高さ:4.064m
定員:66人; 自重:20.03t
加茂市:市指定文化財 (現地案内板の説明)




△ ED1、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

ED1は1930年の蒲原鉄道全線開通に際して、貨物列車牽引用に日本車両製造名古屋本店で新製された凸型の電気機関車です。

貨物輸送廃止後は主に村松の構内入れ替えに従事し、全線廃止まで在籍しました。


△ ED1の室内のようす、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

△ ED1室内の東洋電機製造(株)製自動回路ブレーカ (DICK KERR SYSTEM)、冬鳥越スキーガーデン [2017-11、新潟県加茂市]
 

蒲原鉄道唯一の電気機関車「ED1」
この電気機関車は、昭和5年(1930)に名古屋の日本車両(株)、電気機械は東洋電機で製造され、同年、蒲原鉄道村松~加茂間の開通にあわせて購入されました。
当時の日本はまだ鉄道技術が未熟で、電気部品はアメリカのウェスティングハウス社、車体はボールドウィン社のライセンス生産でした。
凸型のかたちと、左右非対称で片側に寄ったボンネット、その先に付いている社紋のプレート、おでこの丸いヘッドライトが特徴です。
ED1のモーターは56.4kWが4基と旅客用電車の倍の力を持ち、村松産の鉱物や森林資源、七谷産のお米など様々な貨物の輸送に大活躍しました。 昭和50年代に国鉄が貨物の取り扱いを停止してからは、保線などの工事や、冬季間はラッセル用の「スノープラウ」を取付けて線路の除雪にあたりました。
平成11年(1999)に鉄道が廃線となるまで、約70年もの間、現役で働き続け、地域に貢献してきた電気機関車です。 形式:モハ1
全長:9.180m; 全幅:2.445m; 高さ:3.904m
自重:25.00t
加茂市:市指定文化財 (現地案内板の説明)